2013年11月21日木曜日

タッチを変える Page 12: 慣性モーメントはタッチの重さを決めるもう一つの指標である


いよいよなじみのない世界に入っていきましょう。慣性モーメントはタッチの重さを決めるもう一つの指標です。と言った所で、そもそも慣性モーメントとはなんだ、という質問が出ると思います。

そこで、それを説明するために少々物理っぽい話をしなければなりません。

まず、上図にあるような物体を考えます。支点が真ん中付近にあって、棒が渡されています。棒の重さはこの場合考えません。棒の両端におもりがそれぞれついていて、質量をM1M2、支点からの距離を l1 l2 とします。左側のおもりを指で押すことによってこの物体は回転運動を始めます。これを物理的に書くと、指でこの物体にトルクを与えると、角加速度が与えられて回転運動が始まる、ということになります。トルクと角加速度の関係は分かっていて、

T=Iα(トルク=慣性モーメント×角加速度)

という式で表されます。トルクと角加速度は比例関係にあり、大きなトルクをかければ角加速度は大きく、小さなトルクをかければ角加速度は小さくなります。慣性モーメントはその比例定数です。回転する物体の「回転しづらさ」を表しています。慣性モーメントが大きければ同じトルクをかけても得られる角加速度は小さくなってしまいます。逆に慣性モーメントを減らして同じトルクを与えれば得られる角加速度は増えるでしょう。

たとえば、上図の物体が倍の重さのおもりを持っていたとしますと、指で元と同じトルクを与えても動く時の角加速度がかなり小さくなってしまいます。つまり、指にはこの物体が動きづらい、すなわち重い、というように感じられることでしょう。

これはよく直線運動の運動方程式と対比されます。そちらはこんな式でした。

F=ma(力=質量×加速度)

見た感じがかなり似ているのがわかります。直線運動で「動かしづらさ」を表すのは質量です。重ければ動かすのに力がもっといるし、軽ければ楽に動かせます。

回転運動ではこれが慣性モーメントに対応しています。回転運動のため値の計算は質量に加えて
回転軸からの距離もからんできます。名前が一般的ではないのと捉えづらい概念なので分かりにくいものとなっています。 

現実のピアノで考えてみましょう。たとえばスタインウェイの小型のピアノは基準としてダウンウエイト47gで調整されています。つまり、低音でも高音でも47gのおもりを静かに載せると鍵盤がゆっくりと下がっていきます。実際にやってみるとわかりやすいと思います。ダンパーペダルを踏んで低音と高音で弾き比べてみます。ゆっくりと音が鳴らないくらいのスピードで鍵盤を押しましょう。どちらが重く感じましたか?

この場合、もしかしたら同じかそんなに違わないな、と感じるかもしれません。その通り、ゆっくり押し下げる場合はダウンウエイトの測定と同じ状況ですから指で感じる重さはまさにダウンウエイトの47g、低音も高音も同じはずです。

では次に強めにスタッカートで弾いてみましょう。そして、トレモロ(連打)も試してみます。先ほどと同じように低音も高音も同じじゃないかな?と感じたでしょうか。あるいは、低音の方がスタッカートだと抵抗感が大きく、トレモロもやりづらい、と感じたでしょうか?

この辺の感覚の問題は定量化できないので正解は、というわけにいきません。しかしながら、物理の考えから見ますと、ハンマーも重く、鍵盤の鉛も多い低音の方が動きづらいのです。動きづらいというのは、鍵盤を弾く指から見ると動かすのにより大きいエネルギーを必要とするので、「重い」というように表現になるでしょう。低音の方が慣性モーメントが大きいのです。

慣性モーメントはピアノ技術者の世界では計測不可能だとか、計量するには特別な装置が必要だと、言われてきていました。私もしばらく前まではそうなのか、くらいしか考えていなかったのですが、あるとき高校時代に習った「慣性モーメントはある物体の小さな各部分の質量を回転軸からの距離の二乗とかけた数値の総計である」といったような説明の断片的なイメージが上がってきて、あれ、それだったら別に計測不可能でも何でもないのではないか?と思い当たったのです。

単純にアクション部品をある程度の小さい部分に分割してみたらどうだろう、質量は求められるし、距離も計測できる。ちょっとやってみようか、ということでやってみたところ、けっこう上手くできることがわかり、表計算ソフトも利用していろいろ試しているうちにスタンウッドの公式ともつながってきて、今の形が出来上がりました。思ったよりも広い世界に出ることができました。その成果がこの講義、特に後半部分の内容になっています。

次のスライドでは慣性モーメントがどのように計算できるのかを説明します。

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